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イエメン旅行~アルカイダ→ジブラ~ [イエメン3]

タイズ→アルカイダ→ジブラ

アルカイダは何も情報を持っていなかったというのもあるが、
驚いたことに男性用腰布の名産地で、
驚くほど多くの種類の腰布が売られていた。
しかも実際お店の多くは、中に工場を持ち、職人が布を織っていた。


(アルカイダの町中で。男祭り。)


(アルカイダのスーク。)

アルカイダを抜け、ジブラへ向かう道は大分緑も豊かになり、
幸福のアラビアそのもののような景色であったし、

この旅程が非常に印象に残っているのは、
下記3枚の人物写真が撮れたのがいずれもこの地区であったことだ。




1枚目、2枚目は山の中で車を止めて景色を撮っていた時に
出会った人々。

3枚目は、ジブラの直前で乗っていたランドクルーザーの前輪が
パンクし、僕も手伝ってタイヤ交換していた時に集まってきた
子供たち。

写真について偉そうなことを言うつもりはないが、
個人的にすごく気に入っている写真達。

誰もがすごく良い表情をしている。


イエメン旅行~アデン→タイズ~ [イエメン3]

アデン→タイズ

アデンからタイズは先述した通り、とりたてて面白みの無い道の
連続で、正直眠かった。(というか居眠りした。)

アデンから出てすぐのところで検問が二回。
いずれもパーミッション提出。

この場を借りてドライバーのアブドゥルに謝罪。
ごめんなさい。

ただ、この川は印象的だった。

橋の下で合流するんだが、合流前は淀んだ川(右側)と
澄んだ川(左側)があり、澄んだ側では人々が洗濯をしている。


(右と左、わかります?)


(川で洗濯?基本でしょ。)


(合流するとこんな)

降りてみたかったが大分下だったのでやめておいた。

もう1つ印象的だったのは
タイズに近くなってきた頃通過した町で、
南北国境線の町だ。

この町を境に、今でこそ穏やかなこの国にも内戦があったのかと
思うと、眠気の中にもなにやら複雑な心境を覚えた。

実際この南北内戦が終結したのは1994年頃であり、ドイツ
東西統一よりも後のことなのである。
(僕らはドイツについては記憶しているが、
このマイナーな国イエメンの南北統一は全く記憶にないはずだ。)

南北統一に至るまでにはかなりの量の血が流れているとも聞いた。

こんな思いと眠気が交錯する中、車は歩を進め、
タイズを通過し、印象的な名前の町「アルカイダ」へ向かっていた。


イエメン旅行~アデン2~ [イエメン3]

8/21 アデン→タイズ→アルカイダ→ジブラ→イブ→サナア

翌日はクレーター地区のフィッシュマーケット散策から。
日中活気の無いこの国の沿岸部では朝のフィッシュマーケットの賑わいは
非常に面白く、興味を引かれる。

皆、僕に気付くとしきりに写真を撮ってくれと頼んでくる。
大人の男でもかなりの確率で撮られたがりだ。
イスラム教の聖職者以外であれば、写真を撮って嫌がられることはまずない。


(御洒落なポロシャツ着てるわー。)


(ひたすらサメ肉と格闘してました。)

フィッシュマーケットを後にし、クレーターからマアッラを通り、
タワーヒーという地区を通り、
トンネルをくぐるとイエメン唯一の海水浴場へ。
ここら辺は5つ星ホテルがあり、そのプライベートビーチもある
イエメン随一の観光地。(らしい。)

タワーヒーへ戻りがてら、
昨日の夕刻に見た
イギリス風の時計棟↓やら

アパートメント↓やらを撮影

そこからコークマクサル地区へ行き、朝食を。
ゴールデンチューリップという豪華ホテルの向かいで朝食。
肉のカレー炒めとホブスとジュースで
700YRとちょいと高め。(肉食べたからだろうけど。)

さて、いよいよサナアへもどるため北上が始まる。
再び緑豊かなイエメンへ。


イエメン旅行~アデン夕飯~ [イエメン3]

再びチンシンに戻って夕飯を食べる。
ここはアデンで唯一お酒を出すレストランなので、欧米や日本の
駐在員で賑わうレストランらしい。

僕はこの旅行中はお酒を飲まないと決めていたので頼まなかった。
最初にスプーンフォークしか出てこなかったのには驚かされたが、
箸を頼むと持ってきてくれた。
当然だが、この旅行最初で最後の箸を使った食事である。

アサリのサラダや、マッドクラブ、海老の炒め物、チャーハンなどを頼む。
アサリなど貝類は現地の人が食べないので砂浜を掘ればそこかしこで
取れるらしい。


(名物マッドクラブの炒め)


(ぷりっぷりのアサリ。独特のマヨネーズもまた良し。)

この日は腹一杯中華料理を詰め込んで満足の夕飯。
腹一杯食べても2000YRとかだったはず。

ともかくこのレストランは暗く、独特の雰囲気だった。

おばちゃんに会計の時に中国語で話しかけたが通じず?
英語で切り返されたのにはショックを受けた。笑

夕飯の後は、クレーター地区に戻って
スークを歩いたりしたが、特に目新しいものは見つからず。
ネットカフェで日本へメールを数通送って早めに就寝。

タイズから南に下ったため暑い。
が、部屋の設備が良いためか非常に心地よく眠れた。


イエメン旅行~アデン1~ [イエメン3]

タイズからアデンへの道は新鮮味は無いものの、そう飽きもせず、
舗装状態も良いのですんなり到着。

アデンは旧南イエメンの首都。南北統一後首都はサナアになったが、
経済的には今もイエメン経済の中心地である。

古い町ではあるが、
サナアのような太古のアラビアの姿を残しているわけではなく、
イギリス植民地時代や社会主義政権下の影響の方が強くみられる。
(つまり、味気ない建物が多いということ。)

タイズからアデンに入ると、
まずシェイクオスマンという地区に入る。
ツーリストにはなんら用の無い場所なのではないだろうか。
そこから干潟を渡り、コールマクサル地区へ。

ここは大使館や新しいホテルなどがあり、比較的新しい町。
そこからクレーターと呼ばれるアデンの中心地区へ。

ここは古い町で、下町といった感じ。
夜も賑わい、ネットカフェもある。(日本語は不可。)

ホテルはこの地区で数件見たが、アデンガルフホテルは思ったより汚く、
乗り合いタクシー乗り場のすぐ横でメインストリートの裏側にあるホテルへ。
■Al Amer Hotel (地球の歩き方には地図に名前だけ載っている。)
4000YRで(約US$20)、2ベッド、エアコン、テレビ付き。
バルコニーもあり、洗濯物が外に干せる。
部屋も広くて綺麗だが、シャワーの温度が変えられず
珍しく熱すぎるお湯が出て困った。

余談だが、アデンガルフホテルの目の前の映画館は趣のある佇まいだった。

ホテルに荷物を置いて、クレーター地区を探索。
起源1世紀に作られたというため池を見学。
市民もけっこう来ており、憩いの場になっているのか?(有料だが。)

そこからフランスの天才詩人ランボーが暮らしていたという場所へ。
現在はホテルになっており、
そのロビーに彼の写真が一枚置かれているだけだった。

ランボーハウスから海側へ出る。
アデン唯一のピザハットを横目に、海岸へ。

小さな漁港があり、マグロの水揚げがされていた。(小さいが。)
このあたりはマッドクラブの漁もさかんらしく、
晩飯はマッドクラブを食べられる中華料理屋に行こうと決めていた。

その中華料理屋があるのが、マアッラ(マッラ)という地区で、
ここは社会主義政権下の影響が強く残る建物が多い。
なんとなくロシアや東欧などの香りのするようなアパートメントが
建っている姿はイエメンの中ではすごく異質であった。

クレーターからマアッラへは小さな山のようなものを越えていき、
その山頂近くからマアッラを見下ろすと、
コンテナヤードの機械がすごく都会的で印象的だった。

マアッラの名物中華料理屋チンシンへ着いたがまだやっておらず、
30分後に来るようにと言われる。
(玄関にいたおじいさんももはや中国人なのか
イエメン人判別不能なくらい馴染んでいた。)

時間を持て余したので、マアッラからさらに西側のタワーヒー地区へ。
港の入国審査場近くでのんびりと海を見ながら時間を潰す。

昔は大分栄えていた地区らしく、建物には免税、ROLEXなどの文字が躍っていた。
しかし今日これらの店が開いている様子はなく、寂れた感じだった。

1967年の南イエメン独立までは相当栄えていた港らしく、
世界に冠たる自由貿易港だったという歴史が
入国審査場近くの建物の写真からは伝わってきた。
アデンはヨーロッパとアジアを結ぶ拠点だったらしく、
夏目漱石や森鴎外も欧米留学の際に皆この港に立ち寄ったそうだ。

港から山側を振り返ると、イギリス風の時計棟が見え、なんとも不思議な気持ちになる。


レペゼン・イエメン [イエメン3]

千葉の某御洒落番長がレペゼンNYなblogを更新なさっていたので
僕も負けじとレペゼンイエメンで対抗…

イエメン布シリーズ。

↑前に記事にしたことのある、バイトルファキーフ名産のティハーマ布。
こいつはかなりヘビー。
男2人で織り上げるいかつい一枚。
巻きスカートにもテーブルクロスにも。
ごわごわした質感がなんともアナログで味のある逸品。
F&E流にいくと、「魂の布巻いていますか?」ってな感じか。

↑目玉柄。
これは年配女性があたまに巻くタイプ。
女性用ということで上記二枚とは全然違う、柔らかい質感。
個々日本では、初冬の寒さ凌ぎにも良いのではないか、と。

↑この3枚はサナアで購入。
男性用の巻きスカート。
シックな柄が多いのでサナアの特徴。
南部や海岸部は派手な柄が多いのだが、インドネシアのイカットの輸入品だったりして
激しく萎えたので、サナアでシックなものを購入。
こちらも比較的柔らかいタイプ。


↑LATEST FASHIONとのことだが、これ如何に。

↑最後はやっぱり、日本ではこの柄はもはやレペゼンムスリムかな?
ちなみにこれはサウジアラビア産。
イエメン産より織りの技術が高かったのでイエメン産を諦めてサウジ産を購入。

何でも安い国なので勢いあまってこんなに買ってきてしまった。
バックパック一個の旅行でこんなに布、買うなよ自分。
布は何気に重いんだから。。。

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旅行本編の更新が滞っておりますが
今日にも再開しようかと。
時間ありますから、今日は。


イエメン旅行〜雷〜 [イエメン3]

現在雷が鳴り響いている。
ちょっと思い出したので。

僕がイエメンを旅した季節は非常に雨の多い季節だったようだ。

夕立の時間、雷が鳴る。

ふと、ツアーガイドが言う。
「けっこう雷に打たれて人が死ぬんだよ。」(真顔)

「え?」

「標高が高いし、携帯持ってるヤツに当たるんだ。」ですと。。。

日本でもたまに雷がゴルフ場に落ちて、プレー中の人が犠牲になるとか聞いたりするけど、
これはリアルすぎ。

そんなことを思い出した初秋の千葉の夜。

早く天気良くならないかな。


イエメン旅行〜休憩〜 [イエメン3]

けっこうなペースでアップしてきましたが、なかなか時間が取れないので
アデン編からはぼちぼちとやっていきます。

乞うご期待。


(イエメンの"BEASTIE BOYS")


イエメン旅行〜タイズ4〜 [イエメン3]

タイズもそんなに書くことはないんだけど写真がいっぱいだから。

先述のスークを出て、車に乗り山の上へ。
ここは元宮殿(?)だったかな。。。
曖昧なんですが、現在修復中で通れないとこもありました。

ただ、ここから見るタイズの町の眺めは最高です。
何はともあれ写真でお楽しみ下さい。

こんなとこを上って写真奥の建物へ↓


タイズの町並みを見渡すと↓

見上げれば青い空↓

真下を見下ろせば↓

ただここはかなり高地のため、宮殿内の階段の上り下りがキツイ。
ハァハァゼェゼェしちゃいます。

ここからまた町へ降りて、最後のタイズ観光、国立博物館へ。
イエメンに共通して言えるのは、博物館を守ろうという概念が見られないこと。
せっかくけっこう貴重な資料なのかもしれないものを適当に保存している。
ここも例外ではなく、国立博物館と言いながらも、惰性に展示してあるだけ。
金を払う価値はなし。
しかも英語の解説もままならない。
日本語は、誰か親切な日本人が書いた(手書きA4)イエメン近代史が壁に貼ってあるだけ。

これが国立博物館だといわれてもなぁ。。。

ってことで次はアデン編へ。


イエメン旅行〜タイズ3〜 [イエメン3]

8/20
タイズ→アデン

今日は非常に楽な日程である。
故に午前中はタイズでゆっくりと町を見物。

まずはタイズで最も有名なモスク
アル・アシュラフィヤ・モスクへ。

内装修復工事中だったため、中の見学は少々しかできなかった。

続いてちょっと遅めの朝食へ。


(焼きたてのホブス)


(豆の煮込み)


(卵と肉の炒め。卵料理は火が強すぎるからなのか、かなりの確率でコゲている。)

仕上げにシャーイを飲んで一日の活力に。
これで200YR(=US$1)くらいだった気がする。
結局この日は移動で昼飯を食えなかったのでこれくらいガッツリでちょうどよかったみたい。

そこから朝のスークへ。
タイズのスークは夜はよくわからなかったのだが、カビール門とムーサ門という門に囲まれた
スークで、サナアに比べて非常にわかり易い、迷わないスークだ。
朝はコーヒー屋を見たり、乳香を見たり、そんな感じで。


(コーヒー屋さんあたり)


(念願のコーヒー豆に対面。)


(コーヒー屋の前で少年達。)


(完熟グァバ)


(これから左奥の山へ。)


(その前にレモンジュースで休憩。)


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