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イエメン旅行~サナア3泊目~ [イエメン4]

8月22日、強行日程を終えいよいよサナアへ戻る。

いよいよ、というのはつまり、この長かったツアーの終わりを意味する。

8月17日、イエメン到着以来、FTIという会社を通してツアーを組み、
今日までずっとドライバー兼通訳兼ガイドをやってくれていたアブドゥルともお別れ。

どうやらドライバーは複数のツアーエージェントに登録をしており、
お声がかかったらツアーに出るという仕組みのよう。
アブドゥルは携帯電話の番号を教えてくれ、「困ったらいつでも電話しろ。」と。
ホントに感動。
ランクルはエージェンシーのものなので、アブドゥルに直接ツアー交渉することはできない。
もしアブドゥルがランクルを所有していれば、もっと色々頼みたかった。

ツアーを終える時点で、FTIにもう1つ確認しておきたかったことが。
それは、サナアから東へ出るツアーだ。
マーリブ、サユーン、シバーム、タリム等の町へ行くツアーのことである。

僕は1人の旅行だったので、以下のようなツアーを検討していた。

・ランクルチャーターで回る。
 (6人まで乗れる。料金は頭割り。目安は2泊3日でUSD300。ホテル・飯抜きの値段。)
・飛行機でサユーンへ飛び、シバームを見る。
 (マーリブは別。フライトは週に数便。往復約180USD。)

FTIのオフィスで話し合った結果、FTIは基本的に事前予約をしてもらってのツアー組みなので、
明日から行きたいと言われても難しいとのこと。
他のツアーエージェンシーを探すか、飛行機で行くべきとの提案。

まぁもっともである。
他のエージェンシーも事前に数個調べてあり、連絡は取れる状態なので、
ひとまずホテルを探し、ネットカフェなどで情報を集めてみることに。

アブドゥルとの最後のドライブはホテル探しに。
アブドゥルお勧めのホテルは
SAM CITY HOTELといい、タハリール広場から北へ数100メートル。
博物館などを超えてさらに北へ。
一階にはEUROPE CARというレンタカー屋がある。
アブドゥルは僕のサユーン行きをこのレンタカー屋にも相談してくれた。
(これが翌日思わぬ展開に。)

以下、SAM CITY HOTEL概要
一泊二日ダブル利用 USD20(もともとはUSD25)
朝飯付き、ホットシャワー、テレビ、冷蔵庫、ファン。
大きな通り沿いだが、うるさくはない。
気になるようであれば通り側でない方を頼めば良い。
日本人宿泊客も若干いるようだが、僕はアフリカからのビジネスマンに多く出会った。

ホテルにチェックイン後、明日からのプランは定まらないが、
アブドゥルに別れを告げ、アブドゥルのお勧めレストランへ。


やっぱり迷ったらチキンか…


ポテトも冷凍のポテトなんかではない。素朴な感じ。


イエメン風お好み焼き?これが屋台料理の定番。うまい。

その後、ネットカフェへ行くと、数名の日本人に遭遇。
サユーン行きを探している人もいた。
だが、その人は日程に余裕があり、ツアーメイトが6人になるまでサナアを動かないという。
僕にはそれ程日程の余裕はない。
一応、お互いの連絡先を交換し、分かれる。

ホテルに戻り、シャワーを浴び、洗濯。
テレビを見ながら今までの旅を振り返る。
緑の多い、幸福のアラビア、イエメン。
多くの人との出会い、未知のアラビア世界。
毎日が刺激的で目の前に飛び込んでくる情報量が半端じゃない。

これからの目的地サユーン、シバームは砂漠地帯。
また今までとは全然違ったものが見られるはず。

そんなことを考えていたらいつの間にか爆睡。


イエメン旅行~スーラ~ [イエメン4]

8月22日、最終目的地スーラ(スラー)。
シバーム・コーカバンからはさほど遠くない。

夕方の到着であったが、
車が町の入り口に到着するや否や、やたら日本語の流暢な男が近づいてきて
「ガイドをしてやろう」、「土産はどうだ」としつこい。
この旅で一番しつこいし、嫌な意味で観光客(日本人)慣れしたヤツだった。
(スーラにはガイドの子供に注意とか、入ってすぐのカフェのヤツに注意とか、
ガイドブックやネットの書き込みで様々事前情報があった。)

しかし、町の印象は極めて良い。
レンガ作りの家がとても印象的で、小さいながら落ち着く町。

↑山の上にはモスクが建っている。


個人的には好きな町。

これと言って町の中に観光名所もない。
あえて言うなら、町に入って左側の方にあるため池らしい。

ロバ使いの少年もとても印象的。



さぁて、サナアに戻るか。


イエメン旅行~コーカバン~ [イエメン4]

我々はマフウィートからコーカバン(カウカバン)へ戻る。
数度のにわか雨に打たれながらコーカバンへ。

ようやくコーカバンが見えてくる。

町には車用の入り口は1つしかなく、
それもランクルがギリギリ入れる程度。

町は非常に小さく、町に入って車で二分もすれば崖にぶち当たる。
崖から眼下に見えるシバームの町↓

こう見ると、シバームが恐ろしく低いところにあるかのようだが、
シバームの標高は2500メートル。
コーカバンは2850メートルである。

崖の片側からコーカバンの町↓

観光地ではないので崖に柵など無い。
怖い。

でもこの風景は絶景。↓


遥か彼方まで見渡せる。
1000年にも渡って守られてきたこの町。
そしてこの景観。
1000年前とさほど変わっていないであろうこの景観に感動。
緑も豊かで「幸福のアラビア」を実感。

ここの町に晴れた日に宿泊したらさぞ星がきれいなんだろうなぁ。


イエメン旅行~道中写真館~ [イエメン4]

古い門はすべて木製。
最近は鉄製に取ってかわられてしまっているが、
味のある木製の門は美しい。
敵の侵入を防ぐため、小さく作られており、
大人はかがんで出入りせねばならない。

この国は町を散策するなら門や窓を見てみると面白い。

にわか雨が上がった後の空は特に美しい。
標高が高く、雨が振るとやや肌寒くも感じるサナア近辺の山岳地帯。
伝統建築の隙間から覗く空は格別。

迷路のような町中で。
にわか雨はすぐに町を水浸しにする。
僕らはここで雨宿り。

町の子供(兄弟たち)がしきりに家においで、と誘ってくれる。
雨なんだから家でお茶でもどうだ、と。
好意なのか、観光客相手で金を取るためにやっているのかは不明。
ちょっと後悔しているのだが、断ってしまった。
かわいい3兄弟だったのだが。

ワーディー(枯れ谷)だらけのこの国。
どこを車で走っていても、ガイドブックには載っていない素晴らしい景色に出会える。


イエメン旅行~マフウィート~ [イエメン4]

天空の街、マフウィート。

午後は曇ってしまい、見えなくなるからと言われ、
コーカバンを後回しにしてやってきた。

標高2000メートル強の岸壁。

あいにく雨混じりの曇天であたりは一面の雲。
何も見えない。

それが10分もすると少し視界が開けてきて、

若干街が見える。

幻想的。

眼下には鷹が舞っている。


しばらくぼーっと雲がいなくなるのを待っていると、


(奇跡のコラボレーション。)

素晴らしい。
言葉を失い、ただただ見入ってしまう景色。
天空の城ラピュタを思い出させるような風景。

この旅で忘れ得ぬ風景の1つとなった。

しかし、ボーっとしていたらまた雲に隠れて見えなくなってしまった。

うーん、ホントに見えるかどうかは神のみぞ知るところなのか。

ここではイエメン駐在のアメリカ人女性に出会ったが、
彼女はこの反米感情の強い国で平気でやっているのだろうか。。。
(それでも中東の他の国ほど強い反米感情ではないと思うが。)

それはさておき、車に乗り込み、コーカバンへ向けて出発。
が、すぐ近くの町で昼食。


またもサルタ。
だが、好きなので問題はない。


トマト風味の煮込みもうまい。


煮込み具合が完璧。汁まで完飲。

当然サルタも付いて大満足。


イエメン旅行~シバーム・コーカバン~ [イエメン4]

ワーディーダハルから車を走らせ、
双子都市シバームとコーカバンのうち、下に位置するシバームへ。

下とは言っても標高2500メートルの都市。
上に位置するコーカバンは2800メートルちょい。

お互いの都市の役割があり、相互補完的に成り立っている面白い町。

下のシバームは農業と商業。
上のコーカバンは軍事。

コーカバンは常に外敵を監視し、シバームが襲われるとそれを助ける。

二つの町は小さな道でつながっているが、これは車では通れず、登りで1時間ほどの距離。
(車で行く別ルートもある。我々はそっちで。)
ヨーロッパのツーリストがよく歩いてコーカバンまで行くそう。

この標高差を一時間かけて登っていくのはなかなか大変そう。

さて、シバームの町だが、商業の町の名の通り、
大きな市場があり、それを中心に町が成り立っている。

この町では子供達がやたら写真を撮ってくれと言ってきたので、
子供達の写真をやたら撮ったのが印象的。




どの子も目がくりっくりでかわいい。
アンジェリーナジョリーなら2、3人連れて帰るかも。笑

ホントはコーカバンに次に行くべきなのだろうが、
天空都市マフィートは午後になると曇ってしまい、見えなくなる可能性が高いそうなので、
先にマフィートへ行き、それからコーカバンへ向かうことにした。


イエメン旅行~ワーディーダハル~ [イエメン4]

8月22日
FTIでのツアー最終日。
とはいえサナア出発のサナア帰りなので気楽といえば気楽。
道中の苦楽を共にしてきたドライバー、アブドゥルとの別れは寂しいが
サナア近郊の名所を回れる期待感で一杯。

本日の行程

サナア→ワーディーダハル→シバーム→マフィート→コーカバン→スーラ→サナア

全工程で2回検問があったが、いずれもパーミッション不要であった。

まず最初に向かうのは「ロックパレス」で有名なワーディーダハル。
ロックパレスは硬貨のデザインにもなっている有名な建造物。
サナアから30分ほどで、ワーディーダハルを見下ろす丘に到着する。

丘の上からロックパレスを眺めていると、鷹を肩に乗せたオッサンに話しかけられる。
観光客の肩に鷹を乗せて写真を撮って金をもらう商売らしい。
当然断る。笑

「ロックパレス」はパレスと名のつくことからもわかるように、
イスラム教の王様「イマーム」の別邸である。
イマームは週末になるとサナアからこちらを訪れ、
カートなどを楽しんでいたらしい。

この丘は金曜日に来ると、結婚式の人たちが繰り出してきてジャンビーアダンスを
踊っているらしいが、金曜日ではなかったので、僕らと鷹じいさんだけしか人はいなかった。

丘を降り、谷に入っていくとわりとすぐロックパレスに着く。


(これがロックパレス正面)

ロックパレスは内部に入場が可能。
一人500YR。
ここは中も綺麗に整備されていて金を払ってでも入る価値はあると思う。
イエメンでは博物館などの管理がひどいので、金を払ってよかったと思えたのはここだけ。

内部は以下のような感じ。


(ステンドグラスが素敵)


(日が射すとまた綺麗。)


(ここでカートを楽しんだのだろうか。最上階のマフラージ。)

日中は日差しも強く、暑いサナアだが、
このような石造りの家は日陰が非常に涼しく快適。
(逆に冬の寒さも厳しそうだが…)


外に出て、少し横から撮ったロックパレス。

ロックパレスを離れてもとの道に戻ろうとするとイエメン軍の軍事演習に遭遇。

写真を撮ったら怒られるかと思いきや、何も言われない。

岩の上から降りてくる練習だったみたいで、一人降りてくるたびに、
下の兵士たちが拍手喝さい。
やたらピースフルな演習風景。

車はシバームとコーカバン(カウカバン)という双子都市を目指し進んでゆく。


イエメン旅行~イブ→サナア~ [イエメン4]

8月21日、サナアまであと200キロ。

8月17日に日本を出発。
このイエメン旅行も、
ブログでの記事は30件を超えたが実は日程の半分も消化していない。笑

18日から始まったツアーが21日にようやくサナアに戻ってきただけ。

イブからサナアは緑の多い地域で本当に美しい景色ばかり。
ただただ残念だったのはにわか雨に降られ、山に霧がかかってしまったこと。
写真の大半は白んでしまって雰囲気が伝わらない。

雨が晴れた後に現われた夕焼けはとても印象的。

サナアの町の中に入るまでに検問が2,3箇所。
うち一箇所でパーミッション提出。

サナアに着いたのは夜八時頃だったろうか。
かなり疲労していたのを覚えている。
数件のホテルを回って、

タハリールから少し離れたところにある、
『ALSHAMIRI PLAZA HOTEL』に宿泊。
一泊2,500YR
少し古くて狭いが、
TV、ファン、HOTシャワー、冷蔵庫あり。
シャワーにはシャンプー、石鹸もあり。
ただし、僕の部屋がたまたまだったのかしれないが、タオルはなかった。

夜遅くに到着したこともあったし、
さっさと夕飯を済ませたかったこともあったので、
ちょっと手軽にケバブサンドのようなものとザクロジュースで夕飯とする。
(どちらも100YR。かなり手ごろ。)


(ケバブサンドを実に見事に作り上げるお兄さん。)


(出来上がり。)


(ジューススタンド。)


(ザクロジュース。)

この日はタハリール広場近くのネットカフェ(日本語可、2YR/1min)に入る。
メールやらをチェック。
ここのネットカフェは日本人が多い。(僕の知る限り日本語可はここだけ。)
何人かのバックパッカーと各都市の情報を交換。

一緒にツアーに出れそうな人はいない。
(もし一緒に行ければツアー金額は頭割りなのでかなり安くすることができる。)

明日8月22日は最初のツアーの最終日。
サナア近郊の名所を回る。

そろそろその後のツアーやら日程も考えなければ。
まだ東側へは行っていないのだから。


イエメン旅行~イブ~ [イエメン4]

イエメンで最も降雨量の多い町イブ。
という事は緑が多いということでもある。
ジブラからイブ、イブからサナアのあたりは本当に緑豊か。

車で走った時間、天気が悪かったので本当に美しい景色というのは
写真に収めることができなかったが、
とにかく緑豊かで良い地域であった。

イブ、という町は特筆すべきものもなく、
(旧市街もスークも他の町に比べて突出したところがない。)
むしろ現代的な建築物がなぜか数多く建っていて不思議な感じがした。

調べると、これらの現代的な家は、第二次大戦あたりの時期に
アメリカに出稼ぎに行った人たちが建てた家なのだそう。

外観上さほど印象には残っていない町だが、
そこに住む人たちの印象は非常に強い。


(路地裏で出会った兄弟)


(写真を撮ろうとしたら照れる二人)


(「俺の息子を撮ってやってくれ」と言いながら自分も写るオヤジ。)

最も印象的だったのは、
真っ黒な伝統衣装に身をつつんだ女性が話しかけてきたこと。
イスラム圏では非常に珍しいことで、
しかも英語!!
サッカーの日本対イエメンがもうすぐであることや
イエメンについての印象などを聞かれた。
彼女は「ヤーバーン(日本)、グッドグッド」と言って去っていった。

イエメン人は非常に親日的である。
といっても両国にそれほど深い歴史的つながりがあったわけではない。
恐らく、日本製の電化製品やら日本車やら何がしかのプロダクトなどからくる
「日本=良い国」という考え方であろう。

サナアまであと200キロ程。
ようやく首都へのカムバック。

体調は悪く無いが、強行日程なので多少疲れがたまっていた。


イエメン旅行~ジブラ~ [イエメン4]

ジブラ到着の手前で車のタイヤがパンクしたことは前に記したが、
実はパンクしたあたりが町を山の反対側から見られる絶景だったのに
パンク直したりしてる間に写真撮ることなどすっかり忘れていた。

非常に後悔。

ジブラという町は狭いワーディー(枯れ谷)の谷間にある町。
緑の山の中に突如現れる町はとても綺麗。
というのも、ただの白い家々ではなく、
赤いレンガと白い漆喰のコントラストがとても綺麗なのである。

町に到着するや否やスコールの大歓迎。
山の天気は変わりやすく、
しかもこの日はあいにく気温も低い。
冷たい雨にすっかりやられて写真も暗い感じに。


(この景色が晴れてたら相当良かったはず。)


(ミナレットが美しい!!)


(雨の後はこんな感じ。道路は水びたし。)

見るものは少ない町だが、
11世紀に時の女王がわざわざサナアから緑豊かなここジブラへ
遷都したのもなんとなくわかるような町。

しかし、こんな穏やかな町ジブラでも
2001年のテロ後、対米感情の悪化で
病院を運営していたアメリカ人のNGO職員が殺害される事件が起きたらしい。

なんとも不思議な気持ちになった。


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